シリアルキラーの足跡が霧に消えるとき、恐怖は不滅です。
今回は犯人の顔も動機も記録さえも曖昧な未解決事件を集めました。
20世紀の闇は、貧困、偏見、捜査の混乱に飲み込まれたのです。
誰も語らない4つのニッチなシリアルキラーを暴き、歴史の暗部に踏み込みます。
1. クリーブランド胴体殺人者事件(1930年代、アメリカ)
キングズベリー・ランの屠殺者とも
1935年、クリーブランドのキングスベリー・ランのこと。
スラムのゴミ溜まりで、少年が血の滲む麻袋を見つけたのが始まり。
中には男の胴体で、頭部も手足も消えていました。
後に未解決事件の1つとして語られる「クリーブランド・トルソー」の初の犠牲者でした。
1935~1938年の間、実に12人以上の浮浪者や貧困層がバラバラで発見される事件が続きました。
犯人は「マッド・ブッチャー」、解剖のプロではないかと噂されることに。
1936年、女性のエドナ(推定25歳)の胴体が川岸の藪で見つかり、街は凍りつきました。
彼女の顔は永遠に失われ、名前すら推測です。
捜査を率いたエリオット・ネスは、医師フランシス・スウィーニーを追い詰めました。
しかしスウィーニーは酒浸りで不気味な笑みを浮かべただけで証拠はゼロ。
ネスは彼を精神病院に送りましたが、バラバラ遺体事件は増え続け、1938年を最後に事件は突然止まりました。
快楽殺人なのか、それとも解剖実験?
キングスベリー・ランの煤けた空の下、被害者の人生はゴミと消えました。
新聞は「死の外科医」と騒いだが、記録は血の染みと断片的な噂だけ。姿かたちも動機も何もわからず終いのままで終わった事件です。
2. ドゥードラー事件(1970年代、アメリカ)
1974年、サンフランシスコのゲイバーのこと。
ネオンの光に照らされたフレッド(28歳)は、見知らぬ男にスケッチを褒められました。
そしてその僅か数時間後、彼はゴールデンゲート公園の茂みで、胸に6つの刺し傷を抱えて冷たくなっていた状態で発見されました。
「ドゥードラー」の14番目の犠牲者です。
1974~1975年、このシリアルキラーはゲイの男性ばかりを狙い、バーでスケッチを描いて誘い、路地やホテルでナイフを突き立てるといった流れの犯行を繰り返しました。
運よく生き残った生存者の証言もある中、誰も捕まることはありませんでした。
当時はまだ同性愛者の偏見や差別が色濃く残る時代のため、警察の捜査を腐らせたのです。
動機は憎悪だったのでしょうか?犯人自身もゲイだったのでしょうか。
サンフランシスコの自由の風の中でドゥードゥラーの刃は霧に溶け、記録は曖昧な線画と血の記憶だけになります。
セーヴル・ストリート・キラー:リールの霧の絞殺魔(1972~1974年、フランス)
1973年、フランス北部リールのセーヴル通り。
霧が立ち込める歓楽街の路地で、29歳の娼婦ルイーズが倒れていました。
彼女の首には細いロープの赤い痕があり、目は恐怖で凍りついていたと言います。
彼女は「セーヴル・ストリート・キラー」の3番目の犠牲者でした。
1972~1974年にかけて、このシリアルキラーはリールの赤線地帯で4人の女性を絞殺しました。
犯人はバーで女たちに酒を奢り、甘い言葉で路地に誘い、ロープで静かに絞殺していきました。
1972年、最初の被害者マリー(34歳)が港近くのゴミ捨て場で発見されました。
彼女のポケットには、バー「ル・シャトー」のマッチが握られていましたが、警察は「娼婦の事故」と無視。
犯人は30代の男、背が高く、革ジャンを着いていたと噂されます。
目撃者は「彼は静かに笑ってた」と呟きましたが、顔は霧に隠れて見えなかったようです。
動機は性的支配か、娼婦への憎悪か。
リールの工業都市は労働者と酒で溢れ、警察は売春婦の死を後回しにしました。
1974年、4人目の被害者ソフィー(25歳)の遺体が運河に浮かんでいたのが発見されます。
彼女の首には、前の3人と異なる結び目のロープ。犯人が挑発したのか、はたまたは別のキラーか?
捜査は迷い、地元紙は「霧の絞殺魔」と呼び、バーで囁かれました。ソフィーの殺人を最後に犯行は止まりました。セーヴル・ストリート・キラーはリールの霧に溶け、誰もその行方を知りません。
4. モンスター・オブ・フローレンス(1968~1985年、イタリア)
1981年、フィレンツェの田園地帯で事件は起こります。
オリーブの木陰でカルロとマリア(20代、恋人)は車内で抱き合っていました。
次の瞬間、銃声が月夜を切り裂き、2人は血の海に沈みました。
遺体は解体され、彼女の「一部」が犯人に持ち去られることになります。
「モンスター・オブ・フローレンス」と呼ばれる連続銃撃犯の7番目と8番目の犠牲者です。
1968~1985年、8組16人ものカップルが射殺され解体されました。
犯人はベレッタ22口径を使い、暗闇で犯行を重ねました。
農夫のピエトロ・パチアーニが疑われたが、証拠は見つからず。
カルトや複数犯の噂が渦巻いたが、銃すら見つからず。
1985年、フランス人観光客の遺体が藪に捨てられ、血の足跡だけが残っていました。
イタリアの警察は当時賑わせていたマフィアに気を取られ、農村の血を忘れ事件も忘れられていきました。
コメント