世界の脱獄犯10選 捕まらなかった伝説の逃亡者と未解決のミステリー

脱獄

鉄の檻を破り、監視を欺いた脱獄犯たち。

アルカトラズの冷たい海、悪魔島の過酷なジャングル、現代の麻薬王の逃亡劇は、歴史に未解決のミステリーを刻みました。

彼らは捕まることなく闇に消え、自由を掴んだのか、それとも別の運命を辿ったのか。

この記事では、世界の脱獄犯10人の驚くべき逃亡劇とその後の謎を詳細に紹介します。

知恵と勇気が生んだ物語に飛び込みます。

 

フランク・モリス(米国、1962年)

一番左がモリス、及びその兄弟のジョンとクラレンス

銀行強盗でアルカトラズ連邦刑務所に収容されたモリスは、IQ130の頭脳を持つ犯罪者でした。

サンフランシスコ湾の孤島に位置する「脱獄不可能」な監獄で、ジョンとクラレンスのアングリン兄弟と脱出を計画。

厳重な監視と冷たい過酷な海がこれまでの囚人の脱獄を困難にしてきました。

しかし兄弟は1年以上かけ、スプーンと自作ドリルで換気ダクトを削り、ベッドに石鹸と髪の毛で作ったダミー人形を置いて看守を欺くことに成功しました。

雨合羽(あまがっぱ)で作ったいかだで海へ脱出。

その後FBIは17年間もの間捜査してきましたが、足取りは掴めず。

溺死説が有力ですが、2018年に「ジョン・アングリン」からとされる手紙(真偽不明)が届き生存説を再燃。

メキシコやカリブ海で豪華な生活を送る噂や、家族の「生きている」発言がミステリーを深めます。

 

ジョージ・ブレイク(英国、1966年)

95歳のジョージ

ソ連の二重スパイとして終身刑を受けたブレイクは、ロンドンのウォームウッド・スクラブス刑務所に収容されました。

冷戦下でスパイとしての裏切りが注目を集め、危険人物として監視されました。

監視の巡回時間を計算し、反核運動家の協力もあり、編んだロープを壁にかけ脱出。

その後に東ベルリン経由でソ連へ亡命しました。

シンプルな手法ながら、国際的な支援が成功を支えた例と言えます。

亡命した後はモスクワでKGB顧問として働き、2020年に95歳で死去。

回顧録で「自由を選んだ」と語りましたが、スパイ活動の全貌は不明です。

冷戦の闇に消えた彼の人生は、謎のベールに包まれています。

ウォームスウッド・スクラブル(Wormwood Scrubs)正式名称:HM Prison Wormwood Scrubs)は、イギリス・ロンドン西部(ハマースミス・アンド・フラム地区)に位置する成人男性向けの刑務所です。1874年から1875年にかけて建設され、英国の刑事司法システムにおいて長い歴史を持つ施設です。

 

ルネ・ベルブノワ(フランス領ギアナ、1937年)

ただの窃盗罪でフランス領ギアナのデビルズ島流刑地に送られてしまったベルブノワは、過酷な労働、病気、飢餓に満ちた地獄のような生活に耐えました。

複数回の脱獄を試みて失敗を繰り返し、ついに1937年にカヌーでジャングルと海を越えて脱出に成功します。

看守の監視を掻い潜り、南米を横断して米国へ到達。

サバイバル技術と体力が過酷な環境を乗り越えました。

翌年アメリカにて自伝『Dry Guillotine』で流刑地の残虐さを告発し、その後は米国で自由を謳歌したようです。

しかし、物語に誇張があるとの批判が浮上。

1959年の死後も、冒険の真偽は議論の的です。

どのエピソードが本当だったのかは不明のままです。

 

アンリ・シャリエール(フランス領ギアナ、1941年)

ルネ・ベルブノワの脱獄から4年後の話です。

殺人罪(本人は冤罪と主張)でデビルズ島に収容されたシャリエールは、『パピヨン』の著者として知られます。

複数回の失敗後、1941年に椰子の木で作った筏で脱出。

ベネズエラに漂着して市民権を得ました。

自伝はベストセラーとなりましたが、他囚人の話を混ぜた創作疑惑が浮上。

ベネズエラでの平穏な生活は本物か。

1973年の死後も、真実と虚構の境界は曖昧で、ロマン溢れる人生はミステリーのままです。

 

シャロン・キン(メキシコ、1969年)

次は悪運というか豪運の持ち主シャロン・キンの紹介です。

夫ジェームズを銃で殺害し、娘の誤射と偽装して保険金を得る。
夫の死後、親密になったセールスマンの妻パトリシアを殺害するも、証拠不十分で無罪。
更にメキシコのモーテルで男性を射殺。襲われたと主張するも10年の懲役+3年が宣告されメキシコの刑務所に収監されます。

冷酷な美女」としてメディアを賑わせ、冷徹な計算高さが特徴でした。

1969年、停電と緩い警備を突き、看守を欺いて脱出。

米国の最長逃亡記録(50年以上)の保持者で、南米で新たな人生を送っている噂や、1970年代にカリフォルニアで目撃情報がありますが真偽は不明で、現在も行方がわかっていません。

 

ジョン・パトリック・ハナン(英国、1955年)

彼は21歳の若さで自動車窃盗と暴行の罪により7年の刑を言い渡されウォームウッド・スクラブス刑務所に服役していましたが、驚くほどシンプルかつ大胆な方法で脱獄を成功させました。
それは結んだシーツを使って刑務所の壁を越え、看守の監視の隙を突いて逃亡するというもの。
もう一人の逃亡者がわずか16時間で捕まったのに対し、ハナンはその後70年間(2025年6月時点)捕まっておらず、英国史上最長の逃亡記録を保持しています。
ただし、1950年代の英国では、現代のような監視技術(CCTVやデジタル追跡)が存在せず、逃亡者が身を隠すのは比較的容易だった可能性があります。

 

ヴァシリス・パレオコスタス(ギリシャ、2009年)

誘拐と強盗で25年服役中のパレオコスタスは、ギリシャの「脱獄王」です。

民衆に金を配る「現代のロビン・フッド」として支持を集めました。

2006年と2009年、仲間がハイジャックしたヘリコプターで高セキュリティ刑務所から脱出。

2度目の逃亡は看守の銃撃を掻い潜り、映画さながらでした。

2009年以降、消息不明。

ギリシャの山岳地帯や東欧に潜伏との噂があります。

民衆の支持を得る彼は、反体制のシンボルとして語り継がれます。

 

ホセ・アドルフォ・マシアス(フィト、エクアドル、2024年)

麻薬組織「ロス・チョネロス」のリーダー、フィトは、グアヤキル刑務所で服役中でした。
エクアドルの治安を揺るがす存在で、麻薬戦争の中心人物です。
2024年1月、刑務所の混乱と外部協力者の支援で脱出。
詳細は不明ですが、組織のネットワークと資金力が鍵でした。
緊急事態宣言を招いたものの、2025年6月時点で捕まっていません。
コロンビアのジャングルや海外亡命説が浮上していますが真相は不明です。

 

白鳥由栄(日本、1944年)

殺人罪で網走刑務所などに収容された白鳥は、「昭和の脱獄王」です。

4回の脱獄を成功させ、日本の犯罪史に悪名を刻みました。

味噌汁で手錠を錆びさせ、床下を掘り、看守の心理を読み切って逃走。

極寒の北海道を生き延びたサバイバル能力は驚異的です。

最終的に自首しましたが、逃亡中は農家に潜伏し市民を装いました。

知恵と執念は日本の犯罪史に刻まれ、農村での潜伏生活は時代劇のようです。

 

グレン・スチュアート・ゴドウィン(米国・メキシコ、1987年&1991年)

FBI最重要指名手配の常連。

残忍な殺人でカリフォルニアのフォルソム州立刑務所に収容されたゴドウィンは、FBIにマークされた凶悪犯です。

1987年、排水溝を這って脱獄。

メキシコで再逮捕後、1991年にプエンテ・グランデ刑務所から再び逃亡。

二重脱獄の計画性と大胆さが際立ちます。

現在は南米で麻薬ビジネスに絡む説や、整形手術で潜伏説が浮上。

足取りは掴めず、国際捜査網を嘲笑う存在です。

プエンテ・グランデ刑務所(正式名称:Centro Federal de Readaptación Social Número 2)は、メキシコ・ハリスコ州エル・サルトにあった高セキュリティ連邦刑務所で、1993年開設、最大724人収容。腐敗と管理不備により「プエルタ・グランデ(大きな門)」と揶揄され、特に2001年のホアキン・「エル・チャポ」・グスマンの洗濯物カートを使った脱獄で悪名高い。ハリスコ新世代カルテルが内部を支配し、看守の買収や豪華な収監生活が問題化。2020年9月28日に閉鎖され、収容者は他施設に移送された。

 

 

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