2025年、増税議論が世界中で熱い話題です。
税金は国家運営の基盤ですが、世界の歴史を振り返ってみると重税が国家崩壊を招いたという例は幾つも出てきます。
なぜ増税が民衆の怒りを買い、国を破滅に導くのか?
この記事では増税 国家崩壊 歴史の視点から6つの事例と現代への教訓を掘り下げます。
1.ローマ帝国 農民を潰した重税の連鎖
かの有名なローマ帝国(3~5世紀)も重税の失敗例の代表の1つです。
強大な国だったローマ帝国は軍事費や都市の維持費のために、農民たちに過酷な税を課しました。
歴史家タキトゥスが作った『年代記』によると農民は過酷な税を払うことが出来ずに土地を放棄。
これが農業生産の低下を招き、食料不足や反乱が頻発しました。
帝国の衰退は負担税の不均衛が一因と言えます。
476年。
西ローマ帝国は蛮族の侵入で滅亡し、重税の代表を支払うことになりました。
2.フランス王国
フランス王国(1789年)の崩壊は、重税 革命 例の教科書です。
ルイ十六世の浪費と戦争債務で財政は破綻。
そのため市民に重税が集中することになります。
しかし、貴族や聖職者は免税特権がありました。
このため市民たちの怒りと不満が爆発。
経済史家のトマ・ピケティの研究では税の不平等が革命の主因とされます。
怒り狂った民衆はバスティーユを襲撃を襲撃して、フランス革命が始まります。
公平性の欠如が国を滅ぼした増税、国家崩壊の典型例です。
3.明朝 災害時の増税が反乱を呼んだ(1644年)
増税が失敗した東アジア版。
1620年~40年代、明朝では洪水や飢饉といった災害が続いてました。
さらに軍事費の増税が民を圧迫。
こういった厳しい災害や税が苦しめて農民は税を払えず匪賊に転じ、李自成の乱が勃発します。
増税は民衆の信頼を失い、清朝に滅ぼされました。
この事例は危機時の税政策の危険性を示しています。
4.オスマン帝国(17~19世紀)
こちらは重税が及ぼした長期的なケース。
宮廷の奢侈や戦争が原因で、農民(チフチ)に過重な税金が課されました。
こういった地方の税負担がジェラーリの反乱(アナトリアおよびシリア方面で,相次いで起った農民蜂起の総称)を誘発します。
これにより中央権力の弱体化は進み、19世紀には「ヨーロッパの病夫」とまで呼ばれるように。
増税が地方との絆を壊し、帝国を崩壊へと導きました。
5.東ローマ帝国 戦争と税の悪循環
1で紹介したローマ帝国は西で時代も少し前ですが、こちらは東で7世紀のお話。
当時、東ローマはイスラーム帝国やペルシアと戦争を繰り返していました。
そのため農民には重税が課され、土地を放棄する人間が急増。
税負担は農村経済を破壊して領土縮小を引き起こしました。
テーマ制で一時回復しましたが、増税の傷跡は深かったようです。
6.ロシア帝国 革命の遠因となった税
ロシア帝国(1905年~1917年)は重税が革命を引き起こした近代例です。
日露戦争や近代化への資金で、農民や労働者に増税が集中しました。
1905年の『血の日曜日』や1917年の『ロシア革命』の背景には、税負担への不満がありました。
ロシア革命もこういった税よる圧迫が民衆の怒りを増幅させ、革命の火種となりました。
増税が国を滅ぼす理由
これら6つの事例の共通点は、不公平な税制と民衆の信頼喪失です。
ローマやフランスでは税が一部に集中し、明朝やオスマンでは危機時の増税が裏目に出てしまいました。
経済史家のケネス・ロゴフ氏は「税は社会契約の反映。信頼を壊せば国は持たない。」と述べます。
増税が国を滅ぼした教訓として、現代の税制にも活かせる点は多いでしょう。
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